【とある学生の徒然物語】人生を謳歌するために、今歩み出さんとする道


将来について漠然と考えることは多々ある。こうした方がいいのではないか、こうした方が満足できるのではないか、これは後悔しないだろうか、このままで食べていけるのだろうか、悩みや考えは尽きない。

今までは、漠然とネットを使った仕事を考えていた。何もなければ一日中仕事をしているが、予定があればいつでも休める、これが私の理想の環境だ。考えが甘い、と一蹴されるだろうが、これを目標にした働き方を突き詰めれば決して不可能ではないだろう。現に金銭的に不安定・不足しているが、それに近い働き方はできている。

しかし、これで私の人生が続いたとして満足なのか、と振り返ることが最近よくある。20歳を過ぎ、同年代の人達は卒業しようとしている。まさに、これから、といったところだろう。にも関わらず私は何を成し遂げることもせず、時間を作り出すことばかりに集中している。向上心がないと思われても仕方がない。

もちろん、何か大きなことをしたいとは思っている。男に生まれ、今なら立派な役職がなくても名を上げることはできる。特に会社員という労働形態にとらわれない私なら時間も創りだすことは出来るだろう。気持ちも環境も不自由ないのに、上?を目指さないのは何故なのだろうか。

私にも大きな理想を持つことはあった。一年間の休学期間を経て、自分では様々なことを学べたと思っている。収入の多寡は決して労働時間にとらわれないこと、如何にサラリーマンが保護されているかということ、学歴の大切さ、意外と低賃金でも生きていけるということ、家から出なくても働けること、仕事さえ選ばなければどうとでもなるということ、結局は社会的評価に依存しているということ、多くの人は視野が極端に狭いということ、大事を成すには結局、お金が必要だということ、きちんとした人脈さえあれば生きていけること、日本全体が不景気ではないということ、一人は寂しいということ。

一年間の休学期間、ほとんど友だちと会うことはなかった。休学してから出会った人以外には会うことはほとんどなかった。人と会うことが少なくなれば、意外にも寂しいと思う気持ちはあまり湧いて来なかった。本当に辛いのは久々に会った友だちとの会話が驚くほど楽しいことに気付いてしまうことだ。人付き合いを軽視していた私にとって、この衝撃は凄まじかった。

彼女も友達もいらない、会社を大きくして、社員に対して給料を支払えればそれだけで満足だ、と思っていた時期があった。結局、死ぬ時に名を残せなかったら、生きていた意味なんてないんじゃないか、とも考えていた。職にあぶれて困っている人を自分の会社で雇ってあげたい、と思ったこともあった。でも、どれもこれも今では本気で願って行動を起こせるほど純粋な思いではなくなっている。

以前はお金が全てだと考えていたわけでもないが、まずはお金だと思っていた。友達や彼女はそれからでもいい、と。しかし、違うのではないかと疑問を持ち始めた。今の友達は良い奴ばかりだが、果たして自分が仕事に余裕を持てるようになった時、こういった奴らと友だちになれるのだろうか、いやそれ以前に出会うことは出来るのだろうか。

伊坂幸太郎の「モダン・タイムス」を読んで、あるはずのない理想を追っていた私は道を見失った。フィクションではあるが、妙なリアリティを感じてしまったのだ。

私には永遠の命はなく、日本全体をひっくり返すような事もできないと知った時、目の前の道が閉ざされた。もちろん社会的な成功を収められる可能性がないわけではないが、社会的な成功とは思っていたほど素晴らしいものではない。堀江貴文氏を見ていると、特にそれを感じる。何も成していないガキンチョが偉そうに言えることではないのだが、彼が選んだ道は言わば娯楽の道だ。社会的な地位や名誉でも莫大な資産でもなかった。

堀江氏の生き方が目指すべき生き方というわけでもないが、私には、最も何者にも縛られず人生を謳歌しているように見える。他にも人生を謳歌しているものなどいくらでもいるだろうが、二回りも離れていない堀江氏くらいが私には価値観としても丁度いい年齢なのだ。先ほどは、娯楽と誤解の招く言い方をしたが、他の娯楽や趣味とは違い、彼が行なっていることは社会に繋がっているという点は忘れてはいけない。

社会的地位や名誉、莫大な資産にも惹かれない私が目指すべき道はどこなのか。タイムリミットは迫っている。今の仕事を続けていくことには間違いないが、どれだけの時間と熱意を費やすことが出来るのか、まだ見えていない。

続く

2012年8月18日 投稿:エイドギース




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