コミュニティと場における、インターネット黎明期からの変遷


昔、インターネットは現実の逃げ場としても機能していた。実社会では居場所のない人でも、もちろん居場所のある人でも、誰でも平等に存在できる場所であった。しかし、実名化やネットの裾野が広がったことで、徐々に匿名や実社会で居場所のない人が隅へ追いやられてきている、ということは何度か記事に書いた。

ただ、インターネットが普及しているがゆえに、私たちは色々な恩恵を受けられるようになっている。情報収集手段も増え、情報が正しいかを検証できるようにもなり、また物の値段を比較することも出来るようになっている。更にTwitterなどのSNSの登場で著名人が参加し、ネットは公共の場として確立されようとしている。

こうした状況は実社会に馴染めない人の逃げ場をなくしているかと思っていたのだが、実はそうでもないかもしれないと思わせたのが、ジャーナリストの津田大介氏のツイートだ。

前半部分は置いておき、後半の文章が気になった。「ネットは閉じている」というのは、意識の問題で今自分のいる環境の中だけで全てを完結させてしまっているということだろう。例えば、原発反対であれば原発反対のコミュニティだけに所属し、その他の情報を一切遮断する、ネトウヨと呼ばれる人達は同じ価値観を持った人だけとコミュニケーションを図る、等だ。もちろん、すべての人がこういう訳ではないだろうが、声のでかい人にはこういった人が多いということなのだろう。

つまり、居場所がなくなりつつあると思っていたが、実際には居場所が多様化されただけで、かつ、その居場所は閉じきっているために大きな問題はないのかもしれないという思うに至ったのだ。結局はネット内部でも光が当たっているか、当たっていないかの違いで、そのコミュニティに所属している人が閉じている傾向にあるというのは変わらないのだ。

私がネットを始めたときは、2chがインターネットの最深部というイメージを抱いていた。善も悪も良い人も悪い人も全てをごちゃ混ぜにして、全てを受け入れてくれる場、それが2chに対してのかつての印象だ。しかし、今やまとめブログが爆発的なPV数を誇っているように、2ch内のやりとりが白日の下にさらされている。無論、それは一部であり、切り取った断面でしかないのだが、私にとっては最も奥深い場で行われたやりとりを地上まで引っ張りだしたことに大きな衝撃を受けた。

毎度のことながら、結論を特に考えていなかったので結びの言葉に悩んでいるのだが、結局インターネットはコミュニティと場の数が増えただけで、そこにいる人達は特に変わっていないし、変わらないというのが今日の私の学びだ。ただ、次は声が大きい人の言うことが常識や一般的とされる風潮が問題になるのではないかと無駄な心配をし始めている・・・。

2012年8月24日 投稿:エイドギース




Copyright© 2012 エイドギース All Rights Reserved.