脱原発を唱える人たちへの懸念事項について


今日、正確に言えば明日の明朝に全ての原発が停止する。このことについては、国民全員が考えるべき、また自分の意見を持っておくべき事柄でもあるため、私なりの考えを記事にしようと思う。

今回、全ての原発が停止するが、これは原発を廃止すると決めたわけではない。むしろ、政府が積極的に再稼働の話をしているので、今後、原発が再稼働されることは十分にありえるのだ。この原発再稼働の是非は、もっと活発に行なっていくべきで一般社会にも広く議論されるべき話題だろう。

しかし、私が危惧しているのは「大して情報や知識も持っていない人たちが安易に自分の意見を表明している」点だ。もちろん、誰もが自分の意見を言うのは、表現の自由として保障されており誰も阻むことは出来ないし、すべきでない。ただ、私が恐れているのは、知識がない自分が発言したことについて本当に責任を負えるのか、という点だ。

今まで日本は民主主義とは言いながらも、メディアによって良くも悪くも情報操作された社会に生きてきた。そんな社会では、自分の意見や発言に責任を持つこともなかった。また、インターネットが普及していなかったため、自分の意見を広く浸透させることも出来なかった。

しかし、今の時代は違うのだ。世論の力が非常に強くなってきている。これは、マスコミが視聴者にへりくだった報道をするようになったためでもあるのだが、実はこれは非常に怖いことなのだ。メディアが自分の意見を言わなくなってきており、結果的に視聴者の意見に対して責任を求めるようになった。

これは正常なことなのだが、今までは文句を言っても他人事だったのが、急に自分の発言に責任を持てと言われても中々難しいものがあるのだ。サラリーマンは経営者や政治家の文句を昔から言ってきた。これは文句を言うことで精神的なバランスを取っているのだと思うのだが、あくまでこういう文句が世の中を変えることがないからこそ軽口として文句を言えてきたのだ。

ただ、今はそうではない。物事の正誤すらも圧迫しようとしているのが今の世論の強さなのだ。今回の原発に関しても、手放しで脱原発を語る人が多いが、それは非常に危険なことだとどれだけの人が考えているだろうか。もちろん、結果的に脱原発になることは決して悪いことではないかと思うが、自分の意見の強さを国民ひとりひとりに認識してほしいのだ。そして、責任を持たなければいけない。


Yahoo!トピックスより抜粋

この写真を目にしたのだが、ここに写っている人たちは団塊の世代の方が目立つ。もちろん若者が行動しないということもあるのだろうが、テレビメディアの黄金期に青春を送ってきた人たちが目立つのは別の意味もあるだろうと私は推測している。

ネットが普及し、世論とは別に自分の意見をもつことができている人たちは安易にこういうデモに参加したりしない。もちろん、しっかり考えた上で参加している人もいるのだろうが、この写真を見ていると大多数は原発に対して正しい知識を持っておらず、また議論もしていない人たちのように思えるのだ。(これは偏見なのかもしれないが)

原発は反対、ただエネルギー対策は考えておらず、電気料金値上げも反対。こんなワガママでも以前は通った。あくまで井戸端会議の愚痴程度でしかなかったからだ。何度も言うが、今は違うのだ。間違った判断をした場合は自分が責任を追わなければならないのだ。

私自身は、原発の技術は小さな規模になっても構わないので発展させていくべきだと考えているが、最終的に原発を廃止することは全くもって構わない。そこに私自身が従事しているわけではないので、実質的な不利益は電気料金値上げくらいだからだ。今、原発反対派の人たちの多くもそうなのだろう。ただ、原発再稼働の是非については、メリット・デメリット含めて、私たちが選んだ選択だということは忘れてはならない。

求めていたこととはいえ、ついに国民も土俵に上がってしまったのだ。

2012年5月5日 投稿:エイドギース




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